私の息子はADHDとPDD。気づきの瞬間と付き合い方。【体験ブログ】

診断がついた時期は小学2年生でした。
そもそも発達障害とは先天性の障害で、急になるものではありません。
小学2年になる前にもその兆候があったにも関わらず、いろんな理由で診断が遅れてしまいました。
息子は私にとって初めての子であり、一人っ子でもありました。
それゆえに判断が鈍った点もとても大きかったと思います。
小さな頃から落ち着きがなく、テレビを見ていてもすぐに画面から数センチのところまで近づいていき、『離れてみなさい』という声掛けが1日に何度もありました。
そして一人遊びをしない子で、いつも『お母さんも一緒に遊ぼう』と1日中遊びに付き合わねばならず、家事もままならない日々でした。
どうしてこんなに手がかかるんだろう、といつも疲れていました。
子育てが初めてだった私は小さいうちはこういうものだと思って、ひたすら我慢して息子に合わせた生活をしていたように思います。
義母に愚痴っても『みんなそんな経験をしてきてるのよ』と一蹴され、自分の努力や我慢が足りないのではと思い、どんどん愚痴る事も出来なくなりました。
しかし、もう少し大きくなり幼稚園に入ると他の子を見て、ビックリすることだらけでした。
幼稚園の帰りに、幼稚園ママたちで立ち話をするのが恒例になり、長い時は1時間以上になることもあったのですが、私は息子が何をしてるのかハラハラして気が気じゃありませんでした。
日頃から、息子をちゃんと見ていないと何をするか分からないというところがあったので、話は上の空で息子を常に目で追っていました。
しかし他のママ達は、子供のことはそっちのけでずっとお喋りをしています。
『なぜだろう?』と不思議でたまらなかったのですが、息子以外の子供たちはそんなに飛び抜けた危ない事ややってはいけない事をしないのだ、という事に気づきました。
子供なので、絶対しないということはないでしょう。
しかし、息子のような危なげが感じられず、成長の違いを感じました。
他に気になったのは幼稚園の運動会の時です。
親子競技がありました。
息子は父親と3番目に走る予定です。
私はビデオカメラを回しながら、息子の順番を待ちました。
競技内容はタイヤの穴の中にボールを入れて、ボールを落とさぬようロープで引っ張るものでした。
1番目の子は思いっきり走ってしまって、ボールはコロリと落ちてしまいました。
ボールを拾ってまたタイヤの穴に戻し、次はゆっくり親子で引っ張ってゴールしました。
2番目の子は1番目の子の失敗を見てますから、慎重に運んで落とさずゴール。
さて、いよいよ息子です。
息子は最初っから思いっきりダッシュしました。
幼稚園児のする事ですから、会場は笑いと可愛いって言葉で空気は温かいです。
タイヤにボールを戻してゆっくり歩くかと思いきや、またダッシュしてボールを落とす息子。
私は周りのように、ただ可愛いと微笑ましく見れず、『前の失敗を見てなかったのだろうか。自分でも1度失敗してるのに気づかなかったのだろうか』と別の角度で息子を冷静に見ていました。
このように気になる点は他にもいくつかあったと思います。
ではなぜ見逃してしまったのかというと、ひとえに『男の子とはこういうものよ』『うちもそうよ』という意見と息子以外の子を育てたことがなく普通なのか普通じゃないのかが分からなかったこと、そして忙しい毎日に必死で時が流れてしまいました。
私は今でも幼稚園のうちにしっかり調べてもらい、療育を始めていれば息子ももう少し苦しまずに生きれたのではないかと思っています。
ですが過ぎたことをいつまでも後悔してるだけでは息子は幸せになれません。
私の出来る限りで息子が健やかに成長するようにサポートしていきます。