育児休業後の職場復帰で適応障害を発症。【体験ブログ】

「手に職があれば、絶対将来困らないから」と親に言われ続け、看護師を目指し始めました。
身内に医療関係者はおらず、必死に勉強しました。
参考書を買うお金はなく、国家試験対策の塾に通わせてもらうこともありませんでした。
そして学績トップで卒業をし、地元で有名な3次救急の病院へ就職が決まりました。
もともとはがん看護に興味があり、配属希望を出しましたが通らず、入職1年目より救命救急の現場で働くことになりました。
自分の理想の看護と現実の看護のギャップに悩まされながら日々を過ごしていたところ、今の旦那さんと友達からの紹介で出会いました。
すぐにとんとん拍子に婚約、結婚となり、入職4年目を迎えようとしている頃に子供を授かることができました。
産前休暇に入る直前までフルで夜勤も月10回こなして働きまくりました。
産休に入った当初は、今まで仕事ばかりしていたので家で何をしたら良いのか分からず、意味もなくあたふたしていたのを今でも覚えています。
それからスムーズに出産し、産後休暇・育児休暇もいただきました。
里帰り出産をしたのですが、父との折り合いが昔から悪く、子供が泣くたびに舌打ちをされたため夜逃げのようにすぐに自宅へと戻りました。
私の出産後2ヶ月ほど経った時、両親の離婚が決まり、母がよく情緒不安定で泣いている姿を見るようになりました。
出産したばかりで私も大変でしたが、母の力に少しでもなりたいと思い夜な夜な母の話を聞いていました。
母が母方の実家に帰ることになり、私の荷物もそちらへ移動するようにと父から言われたため、生後間もない子供を背負って毎日引っ越しの荷造りに行っていました。
そんなこんなしているうちに育児休暇のタイムリミットは迫ってきて、とうとう職場復帰の日が来てしまいました。
産前に働いていた救命救急ではなく、他部署への配属となり、勉強も1からし直しです。
朝は戦争のような日で、1人ですべての支度をこなし、保育園へ子供を送り届けて泣きつかれ、微熱が出るとすぐに呼び出されて上司や同僚に頭を下げて早退させていただくという日々を過ごしていました。
今まで自分だけのペースでがむしゃらに頑張ってきたのに、子供のペースになり、「また熱なの?」と上司に嫌味を言われ、子供を寝かしつけてから深夜まで新しい部署の医療知識を頭に叩き込むという生活をしていました。
そんな日を半年ほど続けていましたが、上司に
「頼れる親がいないのに育児休暇取ったらダメじゃない。
復帰したら子供は熱を出すものよ。
そのたびにあなたが早退してるんじゃ現場が回らないわ。
産前休暇を取る前に退職した方が良かったんじゃない?」
と言われ、私の中の何かがプツンと切れてしまいました。
その日からアルコールに手がのびるようになり、子供は熱が出ていても解熱剤を使って保育園にごまかして預けるように、、、。
そんな日々が1ヶ月ほど経ったある日、子供の熱が解熱剤を使っても微熱までしか下がらなくなり、同僚が「子供さんうちの病院で診察受けてみたらどうかな?」と言ってくださったのをきっかけに受診してみると、子供の肝臓の機能が低下してしまっていることが発覚しました。
そのまま即日入院になり、上司に相談すると、「うちの病院に入院するなら、日中は出勤できるよね?」と言われました。
同僚に事の流れをすべて話し、相談したところ、私自身が産業医の診察を受けてみたほうが良いかもしれないとアドバイスしてくれました。
言われるがまま、産業医の診察を受けると、精神科に行って診断書を貰えば、仕事を休めると教えてもらい、すぐに精神科に行きました。
診断名は「適応障害」。アルコールに頼ってしまっている面や、不眠、出勤時間になると動機がするということだけで診断名がついてしまい、眠剤の処方も出ました。
2週間の休職診断を出してもらったので、仕事を休ませていただいたのですが、出勤しなければならない日が近づくと、やはり動機・焦燥感が出てきて、このままでは自分がダメになってしまうと思い、退職する決断をしました。
退職してからは、社会から取り残されてしまった感が少しはありましたが、子供に八つ当たりすることもなく、アルコールもなくても大丈夫になりました。”