ADHD(注意欠陥性多動症)の子供を育児中。【体験ブログ】

園長から「とても保育しきれない」とはっきり言われて
ADHD(注意欠陥性多動症)の息子の育児体験です。
関東で出産しました。1歳から保育園に通わせ、仕事を続けようとしたのですが、園長から「とても保育しきれない」とはっきり言われました。
その後、福岡に引っ越したのですが、3歳児検診で指摘をうけ、保健所の紹介で市の施設である「療育センター」(身体・知的・発達障がい児のサポートを担う施設)に通い始めました
。福岡でも多動がひどいせいで、最初に入園した民間の保育園では、途中で退園させられました。
仕方なく幼稚園に入園させました。
しかし私は、多動児の育児で疲弊し、体調がどんどん悪くなっていきました。
そして、とうとう保育時間の短い幼稚園に通わせる事が辛くなり、幼稚園の終了後に民間の保育園を利用するまでに追い詰められました。
最終的に市役所に掛け合い、福岡市認定の保育園に入園させてもらいました。
その後、市から助成を受け、息子のクラスだけ保母さんの人数を一人増やしてもらいました。
担当した保母さんも、よっぽど大変な思いをして息子を保育したのでしょう。
小学校入園前、彼女から特別支援教室の利用を強く勧められました。
夫は息子が障がい児として扱われることを受け入れることが出来ず、小学校一年生の時は、普通教室に通いました。
しかし、トラブル続きで、担任の先生もヘトヘトになり、他の子の授業の妨げになることが分かりました。
そのため、2年生からは特別支援学級に在籍しました。
特別支援学級に在籍した後も、鉢植えを3階から落としたり、消火器を噴射させたり、火災報知機を鳴らしたり、トラブルは絶え間ませんでした。
注意欠陥のため、今行った行為が、どんな結果をもたらすのか、考えることが出来ないからです。
知的遅滞でもあった息子は、小学校在学中に「療育手帳」を取得しました。
現在、「障がい福祉サービ受給者証」を発効してもらい、身体介護を受け、一日に1時間、息子を見守ってもらっています。
いろいろな相談機関に通いました
同じ悩みを抱える人(ピアと言います)たちの集まりにも参加しました。
しかし、どれも気休めにしかなりませんでした。
息子が一年生の時、参観終了後の懇談会で、息子に酷い目に合わされた子のママからすごい目で睨まれました。
それ以来、懇談会に出席するのが怖くなり、息子が15歳になった今に至るまで、懇談会に出席したことはありません。
迷惑を掛けている周囲の方々には、本当に申し訳なく、いたたまれなかったです。
もともと子供が苦手な私は、ADHDの息子にどう向き合っていいか分からず、追い詰められてうつ病になりました。
どの抗うつ剤も効き目がない一方で副作用はひどく、育児と闘病のストレスで病状がどんどん悪化していきました。
結局、息子が小学校5年生の時に、私も障がい者認定を受け、「障害者手帳」を取得しました。
現在家事をするのも難しく、自立支援医療の制度を利用して「障がい福祉サービ受給者証」を発効してもらい、訪問介護で家事援助を受けています。
中学では本人の希望で普通学級に在籍したのですが、友人に怪我をさせてしまうなど、やはりトラブルが絶えませんでした。
現在、中学校3年生ですが、中学校卒業後、特別支援学校に行くか、普通高校に行くか迷っているところです。
特別支援学校では、中学卒業資格しか取得できませんが、現在では、障がい者就労を積極的に取り組む企業が増え、「療育手帳」でも、障がい者枠で就労することが可能になりました。
しかし、本人は、やはり高校卒業資格を取得したいと考えているようです。
知的遅滞の息子でも、合格できる普通学校はあるそうですが、知的遅滞でほとんど授業の内容がわからない3年間を過ごすのは、母である私は、無駄ではないかと思っています。”