広汎性発達障害の弟。うつ病とパニック障害も。【体験ブログ】

弟が広汎性発達障害と分かったのは、中学生になってから
わたしは弟が広汎性発達障害です。
私と弟は年が10歳以上離れているために、あまり一緒に遊んだという記憶がありません。
私は中学生になり部活に明け暮れていたため、共に過ごす時間が無かったからです、
でも両親たちは弟が大きくなるにしたがって、変わった子だと思うようになったようです。
例えば予定が変わることを極度に嫌がる、また予測不能なことが起こるとパニックになるという傾向が強かったので、なるべく直前まで予定を伝えないという方法で弟に対処していました。
でもこの方法も時には、裏目に出ることも。
また周りから見ると極度の潔癖症に見えました。
部屋がいつも同じような状態でないと落ち着かないのです。
例えば本の列がちょっと乱れていても気になるので、すぐに直します。
また机の上のものも定位置が決まっていました。
そんな弟をみんなは神経質な人だと思っていたのですね。
弟が広汎性発達障害と分かったのは、中学生になってからです。
それまでは変わった子供だと思いながらも学校では指摘を受けませんでしたし、問題行動を外で起こすこともなかったからです。
でも中学生になると不安感が強くなり、それが原因で頻尿になったのです。
それから心因性頻尿で泌尿器科、心療内科に通うことに。
それからうつと診断され薬物治療を始めることになったのです。
その時に広汎性発達障害がわかりました。弟の性格だと思っていたけれど、それだけではなかったのですね。
家族は納得するとともに、今度は、弟をサポートするには、どうしたらいいかということを考えるようになり、家族の団結が強まりました。
今は成人となり、症状は薬で改善され定職にもついています
それまではどっちかというと家族がバラバラだったような気がします。しかしみんなが弟をサポートする様になりました。
そんな中でも弟のうつ症状とそれから来る頻尿は悪化し、一時期はおむつを着用するほど。
でも内服と家族のサポートがあり、約2年後、おむつはとることが出来るようになりました。
またパニックになった時は、抗不安薬を大量に飲んで病院に運ばれたこともあります。
そのために弟の思春期時代はあまり良い時代たったとはいえないかもしれませんね。
でも今は成人となり、症状は薬で改善され定職にもつき、依然の弟の姿がウソのように生活を送ることが出来ています。
やっぱり家族のサポートは大切だなと思いますね。