中学生でADHDと診断されて。その後の私の人生。【ADHD体験談】

私がADHDだと聞かされたのは中学生くらいの頃でした。
他の子と違って勉強に集中ができない、気持ちが落ち着かない。
そわそわする。
すぐに手が出る。
部屋が片づけられない・・・
これらの他人との差異を感じつつある時期でしたからショックでした。
小学四年生のころから当時はまだ普及している方だったリタリンを飲んでいた理由もその病気によるものだとも聞かされました。
中学生の時は勉強にやっと興味がもてた(実際にはそう思い込んでいただけ)のか、成績が上がってうれしかったその時に知ってしまったため、わざと薬を飲まずに一日を過ごしてみたら、本当に集中力が生まれず、机の椅子に座らなかった日のことを今でも覚えています。
他人を恐れ避けたので友達ができませんでした。
そんなこんなで高校に上がってもその差異が自分の中で感じつつも認められず、他人を恐れ避けたので友達ができませんでした。
とてもつらったことを今でも覚えています。
ですが、
勉強して変わろう、薬の力を使ってでも。
そう割り切るようになってからは自然と他人を恐れることもなくなり、それなりに近寄ってくれる人も少しずつできて、完全に孤立することはなくなりました。
また、勉強しなければならない、こんなハンディキャップを背負っているのだから、と考えるようになってからは薬を飲まなくても勉強できるようにはなりました。
まだ薬の力がなければ生活はできない、とも思っています。
今ではそれなりに偏差値の高い大学で、友達関係も以前に比べればかなり良好になったと思えています。
ですが、まだ薬の力がなければ生活はできない、とも思っています。
現在も薬を着用しており、今薬を買う立場になってからは、薬の値段を初めて知り、両親がこんな高い薬を買っていたんだなと思うようになりました。
とても申し訳ないとも思うようになり、バイトもちらほらはじめています。
親の早い理解と、薬を受け入れることと、自分の中でいかに早く受け入れられるかが大事
私の20年間程を振り返ると、他人と比べて普通の生活を送ってこれたか?かと言われれば、並の人間よりは苦労したし、努力もしたと自負しています。
が、子供がADHDだと両親が気づかずに子供を育て続けた過程を考えると怖くなります。
私はまだADHDの中では障害はまだ軽い方であったし、親がADHDを認知したのもあり、しつけ方が変わったことなどまだ恵まれてる方なんだなと思います。
この病気の対処法としては、親の早い理解と、薬を受け入れることと、自分の中でいかに早く受け入れられるかが大事だと思います。